とっても古くて新しい学問
・・・・このように考えるあなたは、この研究室の扉の前に立っています。

この研究室は,例えば,次のような研究をしたい人に最適です。
インドの神話の研究。
ボロブドゥール遺跡第一回廊の浮彫図絵の研究。
アジャンター遺跡や,中央アジアのキジール遺跡の仏教壁画の研究。
インド正統六派哲学の研究。
ダルマキールティの仏教論理学の研究。
般若経や法華経の貝葉写本の研究。
ゴータマ・ブッダの伝記の研究。
ネパールの仏教説話集,アヴァダーナマーラーの研究。
10世紀頃のカシュミールの宗教と文化の研究。
古典チベット語の文献研究。
東南アジアの仏教コスモロジーの研究。
クマーリラの思想の研究。
南方仏教,パーリ聖典の研究。
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ここはどんなところ?
問い:こんにちは。看板に「インド哲学史」とありますが,この講座は,インド哲学を学ぶところなのですか。
答え:いらっしゃい。インド哲学という名の講座名は,旧帝大の諸大学で古くから使われていて,そのために九大でも哲学コースの中に置かれているわけなのですが,実質はむしろインド文明学,文化学であると思って下さい。明治時代には,文化といえば表層文化しか考えなかった。だから「インド文化」ではなく「インド哲学」という講座名で看板が作られたのです。哲学とはインドの表層文化の一部ですが,その表層文化の下にある基層文化を研究することも大切です。大学によってはインド哲学ではなく「インド学」(インドロジー)と称しているところもあります。その方が正確ですね。
問い:えーと,表層文化とは何ですか。
答え:表層文化と基層文化の関係は,氷山の海の上に出ている部分と,海の下にある部分の関係のようなものです。氷山は海の上に出ている部分は全体の一割で,全体の九割は海の下にあるそうですが,文化の場合も,そのようなものでしょう。表層文化とは,文化の,氷山の海の上に出ている部分,つまり目に見えるような文化,さまざまな芸術作品など,個人が他の個人との差別化を意識して作り上げている文化です。そして,氷山の海の下に隠れている部分ーー私たちがふだん気づかずに当たり前にそれに従っている文明的,民族的,地域的な伝統文化,ある集団内で類型的に一般化して長い世代にわたり持続し伝承される文化,知らず知らずのうちに皆の共有財産になっているような文化,を基層文化といいます。例えば,冠婚葬祭の風習や生活習慣,ご飯の食べ方,挨拶のしかた,愛の表現の仕方,死に対する考え方,世界観ーー私たちの日常を作り上げているおびただしいものが基層文化です。基層文化はかなり無意識にあるものなので,はでな表層文化ばかりに眼を奪われて,基層文化のありかたに気づきません。インドの表層文化はぶ厚い基層文化の上に載っていることをインド人もあまり自覚していないのです。古代のインド人は自分たちの基層文化を当然なものとして考えていたようです。しかしあらためて基層文化を理解することは,表層文化を理解するために大切です。たとえば,哲学を表層とすると,その下には宗教やら慣習やら言語という基層があります。それらの基層的なものが根っことしてあって,初めて哲学が成り立っているわけですね。だからインド哲学は哲学だけをやっていても駄目で,その根っこをおさえるためには,さまざまな角度からインド文明の基層文化を解明することが必要なのです。文化人類学はフィールドワークによって,現代という時代の基層文化を研究しますが,ここの講座では文献学を中心にして,古代から現代までの基層文化と表層文化の変化を解明してゆきます。
問い:友だちが,ここの講座はサンスクリット漬けになるところだといってたんですが,この講座では,なぜサンスクリット語が必修になっているのですか。
答え:一つの文明を理解するために,その文明を築いた古典語の勉強が必要なのです。西洋文明を土台から理解するために,西洋人たちはラテン語や古代ギリシャ語を勉強します。それと同じように,インド文明を知るためにはサンスクリット語を学ぶことが大切です。3000年にわたってインド文明圏で作られ蓄積されてきたサンスクリット文献は,ほぼ無限にあります。サンスクリット語を学ぶことは,基層文化を学ぶことにもつながるのです。サンスクリット語は印欧祖語の面影を色濃く残している言葉で,語彙がゆたかで,響きが美しく,とても文の論理構造がしっかりした言語です。一般に想像されているほど難しい言語ではありません。サンスクリット語が好きになると,ここの講座の授業は天国のように楽しくなります。また,この講座では,望めば古典チベット語も学ぶことができます。古典チベット語は,チベット文明を理解するために大切です。このような語学の訓練を通して,次第にインドやチベットの心性や思考方法や生のあり方,つまり基層文化がわかってきます。
問い:インド哲学史といういかめしい名前ですが,実質はインド文明学,文化学だ,という言葉の意味がだんだんわかってきました。研究室では学生たちはどのようなテーマで勉強しているのですか。
答え:昔は哲学的なものをやりたがる人が多かったのですが,最近ではむしろそういうことをやる人は少数で,法典・社会慣習,説話や神話,仏教やヒンドゥー教などの宗教文化を学ぼうとする学生が増えてきました。京大や東大ではサンスクリット文学とインド哲学の講座は別々になっていますが,九大ではそれが一つになっているので,インドの文化に関する研究なら,どのような領域にでも行くことが出来ます。
問い:インド哲学史講座にはお寺の出身の方が多いのですか。
答え:お寺出身の学生は近頃は少数になりました。単純にインド文化が好きだから来た,という学生が多いです。
問い:インド哲学史講座では仏教も学べるのですね。
答え:その通りです。仏教思想史の研究は,インド仏教ならびにスリランカ・東南アジア・チベット・中央アジアなどのインド文化圏の仏教を研究し,また中国・日本の仏教のより深い理解のためにアジア全域における仏教の思想史的展開を追ってゆきます。チベット学を含むインド仏教学は,日本の学界が世界をリードする位置にあり,日本の誇る学問の一つです。

なぜインド文明を学ぶ必要があるのか?
19世紀と20世紀は世界が西洋文明に圧倒された世紀でした。
21世紀は,グローバル化の結果,アメリカの価値観が世界を支配するだろう,という人もいますが,そうは思いません。アメリカと西洋文明の価値観だけを学んでいればよい時代は終ったと思います。
21世紀は,西洋文明と中国文明とインド文明とイスラーム文明の4つがぶつかりあう世界になるでしょう。西洋文明の比重は次第に減ってゆくでしょう。
自国の産業の発展のために,西洋文明だけに目を向けて,学んでいればよい時代は終りました。経済的にも,文化的にも,中国文明とインド文明とイスラーム文明の3つの文明はますます重要になってゆくでしょう。それらの3つの文明のもつ独自の文化への理解をもっと深め,相互理解を促進しなければ,人類の21世紀は不幸な文明衝突の時代になるでしょう。4つの文明がそれぞれ自文明の価値を絶対と考えて,自文明中心主義を貫くならば,これからの世界に紛争が絶えることがないでしょう。
教育の現場においても,西洋文明以外の3つの文明に対しての異文化理解を促進することが,現在の急務であると思われます。
世界には担い手が1000人くらいしかいない文化も存在します。何十万とある世界中のあらゆる異文化を尊重し,それらを理解しなさい,というのは理想論で,教育から見ても,無理な話です。あまりに無理な要求は,無関心につながります。相対主義というものは下手をすれば,「あなたの文化は尊重しますが私には関心ありません」という自文化中心主義の態度につながります。
しかし,これからは「私は無関心」では済まされません。グローバル化の時代だからこそ,西洋文明と中国文明とインド文明とイスラーム文明の,21世紀において最重要な4つの文明については重点的に,将来国際人として生きる若者たちに深い理解をもってもらわなくてはなりませんし,大学・文学部としても,きちんと4つの文明についての教育カリキュラムを整える必要があると思います。
4つの文明を知り,比べてみることで,今まで見えていなかったものも,見えてきます。
これからは,日本においてもインド文明の専門家がますます必要になってきます。インドは21世紀でもっとも成長する国といわれています。インド哲学史講座は,文学部/人文科学府で唯一の,インド文明の専門家を養成する講座です。
アジアの時代
21世紀はアジアの時代と呼ばれていますが,東アジアの文化に比べて,南アジアの文化(東南アジアの文化をふくむ)はあまり日本人になじみがありません。私たちの講座では南アジアの文明の精神的な産物である宗教・思想・文学などを研究します。
この講座では南アジアつまりインド文化圏の古典語であるサンスクリット語を(またインド仏教を学ぶ者はパーリ語や古典チベット語を)学びます。なぜこのような古典語の訓練を行なうのでしょうか。一つの文明を根底から理解するには,古典語の勉強から入ってゆくのが一番よい方法なのです。どの文明にも,その文明を築き上げた古典語が存在します。西洋文明の土台がラテン語と古代ギリシャ語から築かれたように,インド文明の土台もサンスクリット語と中期インド語(パーリ語など)から築かれたのです。ニーチェが古典学者として西洋の古典語を学ぶことで西洋文明の土台を理解したように,わたしたちアジア人もアジアの諸文明の基礎を理解するためにはアジアの古典語を学ぶ必要があるのです。
現在のアジアの文化はあまりに多様で複雑ですが,そのあまりの複雑さに目を奪われてしまって呆然としまわないためには,まず目を現代という時代の文化から古典期の文化に転じて,アジアの文化をよりシンプルなかたちで理解します。根底にあるシンプルな原理を押さえてから,現在の多様性を理解してゆきます。アジア古典学は地味な学問ですが,アジアのような極めて古い,幾重にも重なった地層をもつ文明を知るための最も確実な方法なのです。
文化理解のための翻訳
アジアの文化を土台から理解するためには,原典からの翻訳が欠かせません。質が良い翻訳もありますが,量が少なすぎます。アジアの本の翻訳は欧米の本の翻訳と比べてじつに少ないのです。これからの世代には南アジアの古典の世界を原語からの翻訳によって紹介できる若い人がもっと増えてきてほしいと思います。そのため,原語を翻訳する訓練を受けて,その能力を身につけて欲しいのです。それによって,一般読書人に信頼できる翻訳を提供したり,市民に南アジア文化を紹介したりすることができるばかりではなく,受け売りではない自分なりの研究をすることができるようになります。未だ翻訳がない文献をも原語で独力で読めることで,自信をもって文化を論じることができるようになります。そのような人が増えれば,アジア関係の学問ぜんたいが盛んになります。学問によって私たちはアジアの隣人たちをもっとよく知ることができるようになり,日本の文化をより豊かなものにすることができるのです。
インド学という学問
私たちの学問は「インド学」とよばれます。インドの文化を根底的に理解するために文献学的な研究をおもに行っています。この研究の世界は実に広大ですが,一つのおさえどころは,宗教なのです。インド文化の根底には常に宗教(宗教的コスモロジー)があります。宗教がインド文化の土台なのです。インドでは文学,哲学,歴史,芸術,建築,暦学,医学など,あらゆる文化領域に宗教が入り込んでおり,宗教と社会とは切っても切れない関係にあります。ですから,インド文化を研究するためにはとくにインド人の宗教とその宗教意識のあらわれ方に,ふかい関心をもって取り組んでゆく必要があるのです。
インド人の宗教意識を理解するためには,インドの宗教的な聖典や哲学書を原語で読むばかりでなく,インド人が無意識にもっているものを把握するために神話や民話や文学的な作品を調べたりする必要があります。私たちの九大インド哲学史講座は,名前こそ哲学史ですが,哲学や仏教に関心がある人ばかりでなく,哲学が嫌いで文学や神話や民話や歴史に関心がある人をも,大いに歓迎します。それらの研究も哲学文献の研究におとらず,インドの宗教意識の解明につながってゆくからです。
スタッフ
専任教員は二人おり,研究教育に偏りがないよう,バランスのとれた配置をしています。教授の岡野潔はインド仏教を,助教授の片岡啓はインド思想史を専門にしています。
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岡野 潔(インド仏教) |
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片岡 啓(インド思想史) |
岡野教授からの一言:
私は博士課程ではインドの仏教文学(仏伝文学)を研究し,また博士論文のテーマとしてはインド仏教のコスモロジーを研究しました。私は将来仏教学が宗教学・神話学・民族心理学などの他の人文科学と一緒に研究を進めてゆく際に、仏教学の中でも仏教文学やコスモロジー研究の分野が、他の人文科学の領域との確かな接続点としての機能を果たすのではないかと考えています。
説話文学やコスモロジーの分野は宗教の研究者にとって最も楽しく、美しい分野です。仏教学、というといかめしく思えますが、倶舎や唯識や中観の哲学教理ばかりではありません。空の思想や唯識の思想を,人がほとんど住まないヒマラヤの,希薄な大気の中に銀色に輝いてそびえている高峻な峰峰に譬えますと、仏教コスモロジーや仏教説話文学の研究などは山の麓の、人里近くの、花が咲き乱れる野原のようなものです。
宗教には哲理ばかりでなく、色鮮やかなあふれんばかりの空想も必要です。宗教にとって哲理は骨格ですが、その骨格に肉づけするのが空想です。後者も大事にしないと、宗教生活というものは痩せ細ってしまいます。哲学よりも文学をとおして私たちはインド宗教文化のあり方を具体的に知ることができます。
私はインド仏教の学問というものは、何よりもまずインド文化の研究であるべきと考えています。仏教学は仏教信者だけのためにあるのではありません。インドの文化を知るため,またアジアの近隣の諸国の文化を知るために,仏教学は大いに役立つのです。インドの仏教説話は日本にも到達して日本文化に浸透し,またインド仏教のコスモロジーはアジアの諸宗教のコスモロジーに大きな影響を与えました。 私がこれから学生に修士論文や博士論文のテーマとして勧めてゆきたいのが,ネパールの仏教アヴァダーナ文献(説話文献)の研究です。
サンスクリット語で書かれたネパールのアヴァダーナ文献には,写本のままで放置され,未だ公刊されていない作品が山のようにあります。これらの写本を皆で校訂し出版しようと思っています。
「さあ,力あふれる人たち,九大印哲に来なさい,そして一緒にこの未開拓の領域に取り組みましょう」,そう私は呼びかけたいのです。「さあ,この膨大な写本はあなたの到着を待っています。人文学の分野でこれほど未開拓の分野が,地平線の彼方までつづく原野のように,残っているのは珍しいのです。あなたの力で校訂されて出版されるべき作品は沢山あります。あなたの努力は永遠に学問の歴史に刻まれます。ぜひ,この九大に若い力を結集して,サンスクリット仏教文学の写本研究を一気に進展させたいのです。そのために多くの人たちに博士論文を書いてもらいたいのです。もう若くない人も,いらっしゃい。熱意さえあれば,どなたでも歓迎します」と。
九大印哲の大学院の私の授業ではインド仏教文献学の方法を教え,自分でサンスクリット写本の校訂などの研究ができるように指導します。古典チベット語やパーリ語も指導します。
九州という土地は,目まぐるしく学問の流行を追う東京とは違って,じっくりと地道で息の長い研究が出来るところです。写本研究のような,長く時間のかかる研究に向いています。私は今,根気があり学問に熱意をもつ人が来るのを首を長くして待っているのです。
インド学って正確にいうとどういう学問?
インド学(Indology)という学問は,今から200年ほど前に,ヨーロッパで始まった学問です。インド学は,サンスクリット語という古典インド語と,プラークリットと総称される中期インド語,それに古代イラン語系の諸言語など,いわゆるインド=ヨーロッパ語族に属する言語で残されたさまざまの文献資料,さらには古典チベット語やウイグル語などで残された文献資料などを主な研究対象にして,インド文化圏に属する諸地域の文化の諸相を明らかにしようとする学問です。対象領域は,哲学・文学・宗教・神話,さらには法律・天文学・数学・医学など極めて多方面にわたりますが,その基礎には常にインド古典文献学があります。
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(平成16年度) |
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上記の<アットマーク>の箇所には,@が入ります。ジャンク・メール対策のため,このように記しています。
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2007年2月6日更新
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